2006年 11月 29日
オリベンシアといえば・・・ |
いろんな歌手を世に送り出したことで知られるわけですが、中でもやっぱり、フランキー・ルイス
でしょうね。なんつっても。

特にボクの場合、1958年と、同い年生まれということもあって、とりわけ思い入れがある。
ちなみに58年生まれ、多いっすよ。
ラテン界ではほかにラロ・ロドリゲスでしょ、英語圏のほうに行くと、マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナ、ポール・ウェラーとかね。日本だったら、花の中3トリオ(百恵チャンは早生まれなので59年ですけど・・・)、岩崎宏美、原田真二。あと、いま話題の(?)東京タワーとか。
・・・って脱線しちゃいましたけど、フランキー・ルイスって、ホント、いまでも人気があるのがスゴイ。もう亡くなって8年にもなるが。
前に書いたトランシトっていうユニットの『ラ・ヌエバ・コンビナシオン』というアルバムで、録音当時14歳だったルイシート・フィゲロア・ロイクが歌っていた「エスタ・コバルディーア」はフランキーのソロ・デビュー作『ソリスタ・ペロ・ノ・ソロ』(85年)で歌っていた曲。それをアレンジそのままにカバーしてるわけ。
このルイシートくん、1989年9月フィラデルフィア生まれのプエルト・リコ人で、4歳から歌を始めたとのことだが、なんと、アンディ・モンタニェスやフリート・ロドリゲス(トリオ・ロス・パンチョス)が親戚筋にあたるというから、歌手の血筋の生まれということになるのだろう。
1年間プエルト・リコで幼稚園に通ってスペイン語の子供の歌を習い(こういうのが面白いですね)、5歳でまたフィラデルフィアに戻るが、そのころからジェリー・リベラやフランキー・ルイスに夢中になり、10歳のときには『ラ・ディフェレンシア』というアルバムを録音。地元のフィリーやニュー・ヨークでは話題になったという。
で、14歳のときにこの曲の録音、ってことになったわけだが、早熟ぶりでいったらフランキーだって負けちゃいない。
ニュー・ジャージーの地元バンド¬=チャーリー・ロペス楽団で最初のレコーディングをしたのは13歳のときで、その後プエルト・リコに帰ってラ・ソルシオンで鳴らし、オリベンシア楽団に加入した20歳ちょっとにはもうかなりの域に達していた。
←ジェリー・リベラのフランキー・トリビュート・アルバム。真ん中の写真はジェリーとフランキーの2ショット。
ジェリー・リベラ(ジェリーのアイドルもフランキーだった)も、デビュー・アルバムを発表したのは、たしか15歳のときだし、さらにいえば、ラロ・ロドリゲスがエディ・パルミエリの『ザ・サン・オヴ・ラテン・ミュージック』で恐ろしいまでの成熟ぶりを聞かせたのは16歳だった。才能に年齢は関係ない。
しかし考えてみると、こういう人たちが続々登場してくるような成熟した社会に比べて、何なんですかね、いまの日本。
今回の自民党復党問題だってさ、ふざけてる場合じゃないよホントに。
なめんなよ!って感じでしょ。
テメ~らに美しい国とか言われたくね~んだよ!!
・・・あれ? 最後はなんだか全然関係ない話しになっちゃいました。
でしょうね。なんつっても。

特にボクの場合、1958年と、同い年生まれということもあって、とりわけ思い入れがある。
ちなみに58年生まれ、多いっすよ。
ラテン界ではほかにラロ・ロドリゲスでしょ、英語圏のほうに行くと、マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナ、ポール・ウェラーとかね。日本だったら、花の中3トリオ(百恵チャンは早生まれなので59年ですけど・・・)、岩崎宏美、原田真二。あと、いま話題の(?)東京タワーとか。
・・・って脱線しちゃいましたけど、フランキー・ルイスって、ホント、いまでも人気があるのがスゴイ。もう亡くなって8年にもなるが。
前に書いたトランシトっていうユニットの『ラ・ヌエバ・コンビナシオン』というアルバムで、録音当時14歳だったルイシート・フィゲロア・ロイクが歌っていた「エスタ・コバルディーア」はフランキーのソロ・デビュー作『ソリスタ・ペロ・ノ・ソロ』(85年)で歌っていた曲。それをアレンジそのままにカバーしてるわけ。
このルイシートくん、1989年9月フィラデルフィア生まれのプエルト・リコ人で、4歳から歌を始めたとのことだが、なんと、アンディ・モンタニェスやフリート・ロドリゲス(トリオ・ロス・パンチョス)が親戚筋にあたるというから、歌手の血筋の生まれということになるのだろう。
1年間プエルト・リコで幼稚園に通ってスペイン語の子供の歌を習い(こういうのが面白いですね)、5歳でまたフィラデルフィアに戻るが、そのころからジェリー・リベラやフランキー・ルイスに夢中になり、10歳のときには『ラ・ディフェレンシア』というアルバムを録音。地元のフィリーやニュー・ヨークでは話題になったという。
で、14歳のときにこの曲の録音、ってことになったわけだが、早熟ぶりでいったらフランキーだって負けちゃいない。
ニュー・ジャージーの地元バンド¬=チャーリー・ロペス楽団で最初のレコーディングをしたのは13歳のときで、その後プエルト・リコに帰ってラ・ソルシオンで鳴らし、オリベンシア楽団に加入した20歳ちょっとにはもうかなりの域に達していた。

ジェリー・リベラ(ジェリーのアイドルもフランキーだった)も、デビュー・アルバムを発表したのは、たしか15歳のときだし、さらにいえば、ラロ・ロドリゲスがエディ・パルミエリの『ザ・サン・オヴ・ラテン・ミュージック』で恐ろしいまでの成熟ぶりを聞かせたのは16歳だった。才能に年齢は関係ない。
しかし考えてみると、こういう人たちが続々登場してくるような成熟した社会に比べて、何なんですかね、いまの日本。
今回の自民党復党問題だってさ、ふざけてる場合じゃないよホントに。
なめんなよ!って感じでしょ。
テメ~らに美しい国とか言われたくね~んだよ!!
・・・あれ? 最後はなんだか全然関係ない話しになっちゃいました。
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by elcaminante
| 2006-11-29 15:32